お別れ会です。
さんごうとしなチュンを応援してくださったみなさまに
心から感謝して、二羽との最後のお別れをしていただきたく
このブログを綴ります。
さんごう享年10歳3ヶ月
当時、近所のスーパーに併設されていたペットショップで
二羽の桜文鳥を購入し「さんごう」「よんごう」と名付けました。
さんごうはとても元気が良く、自分よりも大きいよんごうを
蹴り落としてエサをねだっていました。
その頃我が家は朝と夕方にしか差し餌が出来ない環境で、
それでもヒナが育てられるかとショップの店員さんに聞いた
ところ「大丈夫でしょう」と言われたので、ヒナ親初心者の
我が家は「そんなもんなのか」と購入することにしたわけです。
今になって思えば朝と夕方にしか差し餌ができない人間に
ヒナを売ったショップってどうなの?って感じですけど。
まぁそんなわけで私達は出会い、一緒に生活することになりました。
かよわいヒナちゃん、会社から帰ったら死んじゃってるかも。。。
と思いながら毎日必死で速攻帰宅。コタツの中の『ふご』を
取り出すと中から大音響の鳴き声。
「えさちょーだい!えさちょーだい!」
二羽の大きな声が家中に響き、急かされるようにお湯で
エサを温め、大きく開かれたクチバシの中にエサを押し込んで
やりました。(懐かしい…)
初めて鳥専門の病院に連れて行ったとき、小さなゲージの存在を
知らなかった私は鳥カゴごと車で運び、そのまま診察室へと
入っていきました。待っている患者さんみんなの注目の的で、
逆に私は「みんなの小鳥はどこにいるんだろう?」と不思議に
思ったものでした。(これまた懐かしい)
一年目にして肝臓が肥大していると言われ、エサをペレットに
変えるようにということで、徐々にペレット食を増やしていきました。
わりと苦戦される方も多いと聞きますが、ウチの子はみんな
ペレットを食べてくれました。
しばらく通院しましたが肝臓の肥大は治まらず、これ以上は血液検査を
してみないとわからない。でもその採血で死んでしまうこともある。と
言われたので血液検査はせず、通院もやめました。
さんごうはとても甘えん坊で、手の中に入るといつも「撫でてv撫でてv」
と人差し指と中指の間にくちばしを突っ込んできました。
なので私は親指で頭をなでなで、ホッペをなでなで、おでこをなでなで、
すると。
「そうじゃなくて!」
と、するどいお叱りが入ることもしばしば…。
撫でられてうっとりしてるかと思えば、ぷい!っと飛んでいってしまう。
そんなツンデレ少女でした。
でも私が体調を崩し、三年ほど家にこもっていた間、一番優しく
接してくれたのはさんごうでした。
私がソファでぐったり寝ていると、パタパタパタっと飛んできて
「大丈夫?」
と私のお腹の上に着地し、
「温めてあげる」
と言わんばかりに座り込んでじっとしていました。
このときのさんごうの優しい表情が今でも忘れられません。
晩年、てんかんの発作を起こすようになり、年齢のせいでトヤを
乗り切るのがきつくなってきたり、あまり遊びたがらなくなったり。
大好きな水浴びも何日かに一回のペースになっていきました。
それでも最後の晩まで飛ぶことが出来ましたし、止まり木につかまる
ことも問題なく出来ていました。
最後の朝。
さんごうはてんかんのほっさに苦しみながらも、私に顔が見えないように
後ろ向きにカゴの隅へと移動しました。
それが偶然だったのか、さんごうの意思だったのか、わかりませんけど
なんとなく…。見られたくないのかなって気がしました。
臨終の瞬間を。
結局私の見たさいごのさんごうは、まだちいさく息をしていたさんごうです。
今思い出しても頑張って私を会社に送り出そうとしてくれていたあの姿に
ちょっと救われています。
もちろんそれは飼い主の勝手な想像(妄想?)でしかないんですけどね。
そして、さんごうは旅立って逝きました。
いままでありがとう、さんごう。
よく頑張って10年3ヶ月も生きてくれたね。おかーさんとっても嬉しいよ。
じゃあね。バイバイ。
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しなチュン享年9歳6ヶ月
しなチュンとの出会いはその当時通勤していた会社の
駐車場から会社の間にあった小鳥屋さんでした。
小さくて古くてとてもキレイとは言えない小鳥屋さんで、
でも、文鳥を飼い始めて一年弱の私はちょっと他の小鳥にも
興味がわき、店を覗いてみることに…。
カナリヤ・ジュウシマツ・セキセイ・…と、そこにベージュ色の
可愛い小さな文鳥の中ヒナがいました。
私はシナモン文鳥は成鳥の色合いしか知らなかったので
この全身ベージュ色の超可愛い文鳥はなに?
と一目惚れしてしまいました。
休みの日に家族を小鳥屋へ連れて行き、「この子が欲しいの」
とねだって、ちょっと強引に買ってもらいました。
しなチュンは最初「ろくごう」と名付けられ、身体が他の文鳥
より小さいのに声だけは誰よりも大きくて、しかも甲高く
よく鳴いていたので急に我が家が騒がしくなりました。
(お店の人が手乗りにするために差し餌をして育てていたので
最初我が家に来たときは寂しかったのでしょうね、しなチュンは)
しなチュンはお店の人の育て方が上手かったのか、べったりの
手乗り文鳥で、あまり飛ぼうとせず、その代わり撫でるとすぐ
発情してしまう困りものでした。
もともと飛ぶことがあまり上手ではなく、よく変な方向に変な音を
立てて飛んで行き、変なところに不時着していました。
卵を産ませないようにあまり撫でないよう、そして大好きだった
ブランコも取り外してやりましたが、軟卵を産んでしまったりして
万年発情期はなかなかおさまりませんでした。
いつからか「しなチュン」というあだ名がつき、我が家の引っ越しを
きっかけに改名することにしました。(かかりつけの獣医さんが変わったので)
骨が弱く、あちこち骨折していたことが後から撮ったレントゲンでわかり、
それ以降しなチュンの扱いには気を付けていましたが、やはり
カゴの中にいるだけでも翼を痛めてしまうことが数回ありました。
晩年は胃腸の調子が悪くなり、通院して治したりしてました。
病院のスタッフさんや先生に可愛いと気に入られて、本人も飼い主も
ちょっと良い気分でした。
今年、数ヶ月前からまた調子を悪くし、病院通いが始まり、月二回のペースで
連れていっていました。ちょっと良くなったりしたんですが、肝機能が
良くなるとトヤになり、そのせいでまた具合が悪くなると聞いてはいましたが、
本当にそこで力尽きてしまうとは。
いや。あれだけ頑張ったので。褒めてあげたいと思います。
よく頑張ったね。しなチュン。先生も最後電話で褒めてくれたよ。
美味しくないお水とエサが最後の食事になっちゃったのが残念だったけど。
しなチュンの羽の色。大好き。
じゃあね、バイバイ。
ここからは二羽の亡骸の写真です。
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二羽の亡骸の写真。